ここは大阪府大阪市生野区にある田島神社(たしまじんじゃ)になります。
生野区の田島という地域は、もともとはメガネのレンズの生産地として日本一のようで、ここ田島神社には眼鏡レンズ発祥之碑なるものがあります。眼鏡レンズの碑の横には、メガネの形をしたしめ縄もあったりした。
(撮影日 2019年7月)
眼鏡レンズ発祥之碑&メガネ形しめ縄
田島神社(たしまじんじゃ)はそんなに大きな敷地ではなく、普通の住宅街の中にひっそりと佇む普通の神社って感じでした。夏の暑い中、自転車で生野区を訪れていたときに見つけました。せっかくなので参拝をし、境内を少しだけ歩いてみたんです。
田嶋地車。
「地車」というのは「じぐるま」と読み、いわゆる「だんじり」のことでございます。大阪府近辺以外にお住まいの方々には、だんじりはあまり馴染みがないかもしれませんね。だんじりを簡単に説明すると、超デカい木製の車をみんなで引っ張って町中を走るというようなお祭りのことです。
この田島という地域にもだんじりというお祭りがあるのでしょう。境内にはその田嶋地車の小屋(倉庫?)があった。2020年はウイルスの関係でだんじりの曳行は厳しそうだが、どうだろう・・・・・・。
そして田島神社の代名詞であろう、眼鏡レンズ発祥之地の碑があった。
石碑の横には、小さな鳥居がある。鳥居のしめ縄がメガネの形になっているところが面白い。
なにげに、この田島という地域が眼鏡レンズの発祥の地だったというのは知らなかった。そういや、この神社のとなりにもメガネ屋さんがあったな・・・・・・。メガネといえば福井県の鯖江市(さばえし)が有名だが、田島というのはあまり有名じゃないような気がする。
石碑を読む。眼鏡レンズ発祥の詳細
わが国の眼鏡レンズ発祥之地は、生野田島町であります。安政四年始祖石田大治郎翁がレンズ研磨を手工業として当地に伝え、農家の副業とし、明治時代を経て来ました。大正五年本格的生産に乗り出し生産高五十萬ダースの規模となり、昭和十年には、わが国眼鏡レンズ産地を確立しました。貿易も始まり戦時重要統制産業組合を経て、昭和二十六年大阪眼鏡レンズ製造工業協同組合を創立し、医療用具レンズの生産地として各国に輸出し、昭和五十年出荷額百七十二億円に達し隆昌を極めました。ここに百三十五年の歴史と産業の礎を記念し新たなる決意を後世に伝えます。
平成四年十一月吉日
大阪眼鏡レンズ製造工業協同組合
(※上記、下線部は「眼鏡レンズ発祥之地」の碑に記された文章となります)
石碑の内容を簡単に説明すると、石田さんという方が1857年(安政4年)にレンズの研磨技術を田島町に伝授していって、そのレンズ研磨が農家の副業になって明治時代が過ぎていった。そこから大正5年にレンズ生産が本格化し、医療用具レンズとかを世界に輸出して大成功したという経緯があるとのこと。
今が2020年だから、レンズ研磨技術が伝わって163年になるわけですな。現代では様々な分野でレンズは必要不可欠な存在。意外な歴史が田島神社から学ぶことができた日でした。