大阪府堺市美原区の大保(だいほ)というところに鋳物師発祥の地ということで『鍋宮大明神碑』がある。
国道309号線という幹線道路の片隅にポツンと建っているのでまったく目立たない石碑ですが、日本の鋳造技術発展においてもかなり重要な歴史があって、昔は河内鋳物師(かわちいもじ)という鋳造のエリート集団の本拠地だったそうな。
ちなみに鋳造ってのは、液体の金属を型に流し込んで成形することな。
(撮影日 2019年1月)
鍋宮大明神の碑
上の写真は美原区大保の国道309号線です。片側2車線の広い道路ですが、この歩道の片隅に鍋宮大明神がある。
ここが鋳物師発祥の地。鍋宮大明神の碑がある場所です。暗い雰囲気もありまして、かなり狭いので目立たない。
日本御鋳物師発祥地
歌碑がある。独特な字なので分かりにくいけど「雨ぐもの月や大保のなべの尻」って書いてる。
これが鍋宮大明神碑。石碑の真ん中に「鍋宮大明神」って彫られている。かなり立派で歴史ある碑。
大保千軒之碑。大保千軒ってのは、大保の鋳物がめっちゃ繁栄したっていうことへの称号のようなものらしい。
鍋宮大明神の説明看板を読む
かなり文字が薄れてしまっていますが、鍋宮大明神(烏丸大明神)についての説明看板がありました。とりあえず頑張って解読してみた。
鍋宮大明神 なべみやだいみょうじん
(烏丸大明神 からすまるだいみょうじん)
このあたり一帯は、「河内鋳物師(かわちいもじ)」と呼ばれる、中世における鋳物技術者集団の本拠地で、平安時代末から室町時代始めにかけて繁栄を誇り、その賑わいぶりは、大保千軒と称される程であった。
「河内鋳物師」は、梵鐘を始めとして、鍋・釜等の日常雑器。農機具等の鋳造を行っていた。技術の優秀さは「重源再興の東大寺大仏」「鎌倉の大仏」の鋳造にも参加していることがらも確かめられる。その後、各地の需要に応じて、分散居住するなどしたため、さしもの「河内鋳物師」も衰退した。全国の鋳物技術者の間に、この地を「日本鋳物発祥の地」「出身地」とする伝承を持つものが少なくない。
鍋宮大明神は、「河内鋳物師」が自分達の始祖と仰ぐ「石凝姥命(いしこりどめのみこと)」を始め、「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」「猿田彦命(さるたひこのみこと)」が始めて鋳物の鍋を作ったと言う。「鍋子丸」を祀ったものといわれている。
(※上記、下線部は鍋宮大明神の説明看板の内容です)
説明を読むに、日本の鋳物発祥の地というのはけっこう有力な伝承らしい。少なくなっているとはいえ、今も日本では鋳造技術で鍋とかを作っている会社はあるので、その歴史を辿れば、河内鋳物師に辿りつく可能性大ってことですね。ってか大仏造りに参加していたのね。
なにげに超立派な歴史のある場所なのに、全然目立たないというのが逆にそそられる鍋宮大明神でした。ちなみに、すぐ近くには広国神社っていう巨大鍋がある神社があったりするよ。