大阪府和泉市(いずみし)の幸・王子地区(さいわい・おうじちく)を探訪してみた。幸・王子地区とは、幸(さいわい)と王子町(おうじちょう)の2つの町にある団地の総称となります。
信太山駅から東側すぐの住宅街で、幸・王子町の一帯は古いマンションが密集してます。普通に生活していたら、まず訪れる用事がないような地域ゆえに探訪してみることにした。
(探訪日 2020年2月)
幸・王子地区の市営住宅
幸(さいわい)と王子町(おうじちょう)を訪れたのは、このときが初めて。さっきも言ったように、この2つの町の団地をひっくるめて幸・王子地区と呼んでいるようだ。
若者不足に陥っている町なのか、そこらへんの商店はけっこうシャッターが閉まっていた。人通りもめっちゃ少ない。
団地にやってきた。そこらじゅうにマンションがたくさん立ち並んでいる。幸・王子地区は大阪府の中ではかなり規模が大きいほうの団地だと思う。縦横700mくらいの区画に、マンションが密集しているようなかんじです。
マンションじたいはかなり年季の入った雰囲気があり、けっこうな築年数が経っているようだ。昭和後期に建てられたような、昔ながらのマンションってかんじです。
入り組んだ団地の中には小さな公園があったりする。
公園の中は誰もいない。その代わり、自転車の空気入れがポツンと落ちていた。もしも自転車の空気が無くなったら、この公園に来れば無料で空気が入れられますな。
大きなマンションもあれば、小さなマンションが多く存在する。
酒屋さんの看板がめっちゃ昭和っぽい。ジョニーウォーカーっていう酒のブランドらしい。僕は酒を飲まないから知らんですが、かなりの有名ブランドらしいね。
「王子」の由来と熊野信仰
さきほどの酒屋さんの隣に、小さな公園があった。公園には錆びついた滑り台があり、人っ子一人いない。
公園の端っこには大きな石碑があった。
そして、石碑の横には王子という地名の由来が書かれた説明看板がありました。うん、めっちゃボロボロやな。どうやらこの公園のあたりは平松王子という地名らしいぞ。
説明看板によると、平安時代以後に熊野信仰という「熊野こそ現世極楽の聖地」だという信仰が貴族たちの間で流行った。そして、熊野へ向かう道の要所要所に熊野九十九王子社という熊野権現の末社が設けられ、遙拝所や休憩所として利用され、その地名の後ろに「王子」という名前を付けくわえるようにしたそうだ。
おそらく、ここで言う熊野というのは熊野古道とか熊野三山のことだと思う。そして、ここは平松王子・・・・・・つまり元々は「平松」という地名だったが、熊野信仰によって名前の後ろに「王子」が付いて、現在は「平松王子」という地名になったわけだ。そこから時代が流れて王子町に変わり、お隣の幸と王子町の団地をひっくるめて王子地区と呼ぶようになったのだと思うぞ。ちなみに、ほかにも和泉市には王子が付く地域はあるらしい。
説明看板の後半には、かつて平松王子の近くで後鳥羽院上皇の一行が熊野への途中に宿泊した書いてある。この事実の史料となったのが後鳥羽院熊野行幸記という日記で、藤原定家(ふじわらのさだいえ)が書いたものだそうだ。さきほどの石碑は、この行幸記の記念碑です。もしかしたら幸の地名の由来は行幸記の「幸」の文字からきてるのかもしれない。まったく確証はないが。(※結局、幸の地名の由来は分かりませんでした。すまん)
どうやって遊ぶのか分からない遊具
平松王子の公園から少し東側へいったら、またもや小さな公園を発見した。そして、すべて漢字(中国語?)で書かれた石碑があった。なんて書いてるのか、まったく読めない。
そして、テトリスみたいな遊具がある。これは・・・・・・どうやって遊ぶのだろうか。
横長verもある。無表情。なにかのアート作品なのかな。
美術の成績で2(5段階中)をとったことがある僕には、このアートの製作者の意図を読み取ることは不可能でした。