大阪府堺市南区にある大蓮公園(おおはすこうえん)を訪れました。
堺市には陶邑窯跡群(すえむらかまあとぐん)と呼ばれる古墳時代~平安時代まで須恵器(すえき)を焼くために活躍したという、大昔の巨大窯がいくつかあったそうな。
この大蓮公園には栂(とが)第61号窯跡という、なかなかに巨大な地下式の巨大窯の複製(復元)があるので、見に行ってきました。
栂第61号窯へ行く!
この大蓮公園・・・はにわ広場なる、ハニワが点在している広場があったりするのですが、残念ながら昨年(2018年)の超大型台風の影響もあって、倒木被害がヤバいことになってました。もちろん全面立入禁止でした。
ほかにも大橋公園の代名詞ともいうべき、大蓮池っていうめちゃくちゃデカい池があったりする。まぁ、いろいろと魅力の多い公園なのです。
しかし、今回の目的は栂第61号窯跡なので、大蓮公園の最北端のほうへ行ってみる。
普通の公園内の道なのですが、上の写真右側にソレはあった。
栂第61号窯跡
小山の斜面を削りだして造られたような巨大窯。写真じゃよくわからないかもしれないけど、かなり大きいです。見た感じ、横幅2mくらい、縦は10mくらいある。
昔の人は、このいかにも自然素材で作りましたって感じの窯で須恵器などを焼いていたらしいっす。すごいね。
陶邑窯跡群の詳細看板を読む。
窯の横にはこのような看板があった。陶邑窯跡群の詳細が書かれている看板ですな。
せっかくなので読んでみよう。
陶邑窯跡群(すえむらかまあとぐん)
古墳時代の中期、日本は朝鮮半島(韓半島)との交流が盛んになり、人、物、技術が入ってきました。陶邑窯跡群は、泉北地域を中心に堺市南区、和泉市、岸和田市、大阪狭山市東西15km、南北9kmに広がる1000基以上ともいわれる古代の窯跡です。これらの窯では、5世紀初めの頃から10世紀まで須恵器という焼物が作られていました。この須恵器は朝鮮半島(韓半島)から伝わった最新技術によって製作されたもので、轆轤(ろくろ)と窖窯(あながま)を使用し、1000度以上の高温と還元炎によって作られた青味がかった灰褐色、硬質の土器です。初期段階の須恵器は、器形、文様、製作技法等が朝鮮半島(韓半島)の陶質土器と非常によく似ているものもあります。この陶邑窯跡群内からは、日本でも最古級の須恵器が窯跡とともに出土しており、古代にはこの地域が朝鮮半島(韓半島)と関係が深かったことが分かります。
(※上記、下線部文章は陶邑窯跡群の看板の内容です)
「この窖窯は、陶邑窯跡群の栂地区で発掘調査され、原寸で当地に複製されました。」って書いてます。栂地区ってのは、地図的には大蓮公園からすぐ近く、南西にある。
栂第61号窯の詳細看板を読む。
栂第61号窯 1972年8月 調査
栂地区南部域の丘陵に存在した登窯であり7世紀初期の須恵器生産に築かれ使用されたものです。発掘調査した多数の窯で、泉北丘陵の窯のうちでも最大規模のものであり、泉北丘陵における当時の窯業生産をうかがう好資料である。保存度がきわめて良いものであったため原寸で移築されて復原をおこなったものである。手前の床の平らな部分で薪(まき)を焚き、上部に煙道を、設け、斜面に壺(つぼ)や甕(かめ)などを置いて焼き上げたものである。
(※上記、下線部文章は栂第61号窯の詳細看板の内容です)
窯を撮影
正面から撮影。
横から撮影。ちょうど窯の中腹あたりです。ここに陶器を置いて、焼成の作業を開始するみたいですね。深さは1mくらいかな。
周囲には植樹とロープの囲いがあるため、あまり近づくことはできないんだ。まぁ落ちたらケガするからね。
窯の上部を撮影。てっぺんには赤いコーンが建てられているが、風で倒れている。
61号窯の縦の長さは10m以上あるかもしれん。横幅も2mくらいはあるので、須恵器の大量生産は可能っぽいね。
窯の頂上付近。ちょうど煙道にあたる部分ですね。右側にある大きな穴から煙を排出するのだろう。
斜面から撮影。
複製(復元)とはいえ、こういった史跡を自分の目で観察できるってのはかなり貴重な経験になるので、ぜひ興味がある方は訪れてみるといいと思うよ。