ここは大阪府大阪市浪速区。JR大阪環状線の芦原橋駅になります。
芦原橋といえば、現代では絶滅危惧されてる和太鼓の店が残る稀有な街です。
某日、芦原橋の近くを訪問する用事があったので、ついでに芦原橋駅周辺を探索(徘徊)してみることにしました。まぁ、何度かここへ訪れたことはあるっちゃあるけどな。
今回、芦原橋駅の環状線高架下(西側)に沿って歩き、その後は西側から南側へぐるっと一周するかたちで駅まで戻るというルートで徘徊しました。
(撮影日 2019年10月)
芦原橋駅の西側高架下の店と町工場
駅から西へ歩いていくことにした。ちょうど大阪環状線の高架に沿って歩いているところです。
高架下には閉業した飲食店などがズラリと並んでいる。上の写真には写ってないが、唯一、小さなタコ焼き屋さんが今でも営業していたぞ。ここらへんのお店は、環状線が完成した当初に出店したのだろうか、ほとんどが古そうなお店だった。
この近くには大阪人権博物館という施設があるらしい。
環状線の高架下には町工場もある。ヒビのはいった壁やサビついたシャッター、レトロ感のあるフォントで書かれた社名が歴史を感じさせるのう。
この周辺には製造業の中小企業がぼちぼち点在していて、中にはけっこう大きな工場もあったぞ。
工場のすぐ先には踏切がある。南海汐見橋線という路線だ。この南海汐見橋線には木津川駅っていう、やや影の薄い駅があったりするぞ。まあ、木津川駅の探訪記事については近々公開しようと思う。
寂れた公園
踏切を渡り、今度は南へ歩いて行くと、浪速北公園という妙に寂れた公園があった。・・・・・・とはいえ、最近の公園ってほとんどが寂れているような気がしなくもないけどな。少子高齢化という悲しい現実や。
浪速北公園の何も書かれていない看板。目を凝らして見ると、何かマップのようなものが書かれていた跡があるが、永い年月とともにインクが落ちてしまったのだろうか。
そしてなんか知らんけど、めっちゃキレイな足跡(赤丸の部分)がついてた。
ゴミ捨て場と化している一角があった。大阪市の環境事業局の緑のカゴなので、もしかしたら市が設置したのかもしれん。知らんけど。
それにしても、このゴミの散乱ぐあいはヤベぇな。
和太鼓な街景色
高いマンションの団地を抜け、ちょうど芦原橋駅の南側を徘徊してみた。
そして新なにわ筋と呼ばれる大通りに出た。この近辺では、芦原橋の名物の和太鼓をモチーフにしたモノや、和太鼓に関係するモノが設置されている。
和太鼓の縁(ふち)の案内板
上の写真は和太鼓の縁(ふち)の部分をモチーフにしている案内板です。
周辺施設の案内のほか、下部には太鼓の皮の張り方が説明されていた。
太鼓櫓のカラクリ時計(浪速玉姫公園)
浪速玉姫公園(太鼓屋又兵衛屋敷跡)に着いた。この珍しい形をした太鼓櫓(たいこやぐら)はカラクリ人形が太鼓をたたく時計です。
午後5時になると、太鼓櫓の中にあるカラクリ人形が動き出して、太鼓をたたき始めます。
太鼓の素材になる木、ケヤキ。(浪速玉姫公園)
時太鼓と同じく、浪速玉姫公園です。
このベンチの中央にある木は「ケヤキ」といって、和太鼓の胴(本体の木の部分)になるらしいぞ。胴として使うには100年以上育て、太く大きくならないと使えないのだ。おそらく太く成長した幹を、そのままくり抜いて、太鼓の胴に加工するんだと思う。
このケヤキは材質が固く、木目がつまっているから太鼓に適しているが、しかし最近ではケヤキ以外の木も太鼓に使うとのこと。和太鼓だけど、外国産のブビンガっていう木も胴に使われるんだってよ。
和太鼓の屋根の公衆電話
芦原橋駅の南出口にやってきた。公衆電話ボックスを見てみよう。
電話ボックスの屋根の上には巨大な和太鼓(たぶんレプリカ)がのってます。
バス亭の太鼓ベンチと楽譜
芦原橋駅前のバス停。よくみると、バス停の屋根も太鼓型やな。
バスを待っている間はこの和太鼓ベンチでくつろぎましょう。
待っているだけじゃ暇な方は、太鼓の楽譜でも眺めましょう。ドンドンドンうん。トコトコドンうん。
「ばち」が展示されてる。太鼓の達人っていうゲームが流行ってた頃は「マイばち」を持参してゲーセンに行く青年とかが結構いた記憶がある。今でも太鼓の達人ってあるのかな。
芦原橋駅に隣接する太鼓屋さん
芦原橋駅のお隣には太鼓屋さんがあった。今でも営業していたぞ。こちらは「田端太鼓工芸株式会社」という。
そして道路を挟んで、駅の向かい側にあるのが「太鼓正」という。ここはテレビでよく紹介されてる有名なお店です。太鼓教室もやっているらしく、小さな和太鼓とかも売っていたぞ。
以上、日本の伝統的楽器、和太鼓で有名な芦原橋でした。