ここは大阪府泉南郡熊取町です。雨山城跡という山城跡への登山口になります。
先日、永楽ダムや山頂展望台を訪れた際に「せっかく熊取町まで来たんだからコッチにも寄っちゃおう!」という軽いノリで訪れてみました。
実際に訪問した結果、雨山の山頂には雨山城跡のほかに、雨山自炊井戸跡という現在でも水がタプタプな井戸がありました。もちろん山頂からの絶景もなかなかのものでした。
(訪問日 2019年12月)
雨山の山頂付近を目指す!
雨山城跡の登山口は阪和自動車道という高速道路の高架の下にある。バイクを高架のところに置き、さっそく山登り開始。(※車の方々は登山口の正面の広いスペースに駐車してた)
池のよこを通り、山に入った。山の中の木は、さいきん枝切りされたのか、かなりスッキリとしていた。じゃっかん幻想的な光景になっちゃってるな。
基本的に一本道で、坂もそんなにキツくない傾斜です。
はじめての分かれ道ですが、ちゃんと案内板がありました。案内板には、右へ行けば馬場跡と書いていたので行ってみたけど、どこが馬場跡なのか分からなかったから引き返した。
分かれ道に引き返し、左へ行く。ちなみに左のほうは雨山城跡(山頂)に行ける道です。
途中、石の鳥居がたってた。
登山道から20分くらいで雨山の山頂付近に到着。
井戸跡と書かれた案内板があるので、まずは井戸跡を探してみることにしました。
今でも水がタプタプな井戸跡。雨山自炊井戸
休憩用のテーブルがあった。絶景っす。ここで弁当食べたらさぞかし旨いことだろう。(by探訪前に弁当を全部食ってしまった男)
そういえば案内板には「井戸跡・月見亭」と書かれていたが、月見亭ってのが全然見当たらなかったのでパスした。せめて井戸だけでも見つけようと頑張ることに。
頑張って探索したら、道に迷ふ。これ絶対この先に井戸なんてないよなぁ~・・・なんて思いつつ引き返した。
このあたりだけ異様に分かれ道が多いから道を間違えるのは仕方ない。なんとか新しい案内板を見つけ、矢印に従って進んだ。そういや案内板には土丸城跡って書いてますね。土丸城は雨山城と一体の山城でして、一般的には「土丸・雨山城跡」って呼ばれているみたい。
一度は道を間違えたものの、井戸跡を発見した。井戸「跡」って書いてたから、跡形もなくなっているものかと勝手に思ってましたが、普通に原型を留めてました。まあ明らかに最近造り直されたかんじはありますが。
井戸跡。白いプレートには『雨山自炊井戸』と書いてる。
ここが山城だった時代は、この井戸から水を汲んで生活していたのだろうか。
せっかくなのでフタを開けて覗いてみた。水は現在でもタプタプの満タン状態っす。
井戸の囲いの部分はコンクリートだったので、これもリニューアルされたのだろう。山城だった当時は木製の井戸囲いとかだったのかな。それとも城壁のように石を組み上げて囲いを造ったのかな。囲いの無い井戸というのもあり得るな・・・・・・雨山自炊井戸についての説明看板などは一切無かったので、すべて謎である。
雨山城跡。小屋と山頂からの絶景
井戸から引き返し、とうとう雨山城跡に行くことに。井戸から徒歩1分くらいで着くんだ。
雨山城跡に行く途中、木造の小屋があったので寄ってみた。
小屋の中の様子↑
どうやら休憩場となっているみたいです。雨山のマップや風景写真などが飾られていたぞ。そして雨山城跡山友会という組織もあるみたいだ。この小屋を管理している方々なのだろうか。
小屋を離れ、雨山城跡に着いた。石棺のようなものがあるね。
城跡についての説明看板。雨山の標高312mらしい。
諸説あるらしいが、雨山城は1346年頃に整備されたらしいです。戦の拠点のひとつ故に、馬場(ばば。馬の訓練場のような場所)や射場(いば。弓矢の訓練場のような場所)が当時はあったらしい。
残念ながら今回の探訪、馬場も射場もみつけることができませんでしたっ!! どうもずびばぜんでしたっ!!(鼻水)
さっきの説明看板に書いていたが、この石祠は雨山神社跡らしい。雨山神社は1908年に大森神社と合祀合併したとのことです。
最後に雨山城跡からのすんばらしい眺望を拝む。
雨山山頂、標高312m。熊取の絶景スポットのひとつ。ここまで来てよかった・・・そんな達成感を味わえます。
余談。『雨山落書帳』を書いてきた。
さきほどの木造小屋に『雨山落書帳』なるものがあったので、書いてみたぞ。
かるい一言とスタンプをぺったんこ! 安心してくれ、字がヘタな自覚はある!
スタンプに書いてる闇龗神(くらおかみ)というのは、先ほどの石祠の雨山神社が闇龗神を祭神としていたからです。
落書帳には各々、面白い一言や、山頂までの出来事を書いてました。金曜日の平日でもそこそこ人が訪れていたぞ。初めて訪れた史跡ですが、たいへん充実した探訪ができました。