ここは大阪府大阪市平野区。昔は平野停留場っていう路面電車の電停だった場所でして、現在はプロムナード平野という公園になってます。すでに廃線となっているのですが、旧南海電鉄平野線の平野駅跡ってわけです。
この公園は遊歩道のようになっていて、ところどころ平野駅跡の名残がある。また、廃鉄道の古いレールや信号などを再利用してたりするなど、ちょっと珍しい公園なんです。
(撮影日 2019年2月)
- 『古いレールの藤棚』と『車止め』と『平野郷モニュメント』
- 『信号』と旧南海平野線平野駅の『八角形屋根の駅舎』
- 詳細のプレートを読む。
- 『枕木の柵』と『プロムナード平野の終着点』
- 『南海平野線平野駅跡地プロムナード』の場所
『古いレールの藤棚』と『車止め』と『平野郷モニュメント』
昭和チックな商店街の脇にプロムナード平野の入口はあります。細長い遊歩道のような公園ですので、徒歩か自転車くらいしか入ることができませんのでご注意。
そしてこれが旧平野駅に使われていた古いレールを利用した藤棚。
南海平野線平野駅は昭和55年(1980年)に廃線になったので、かなり年月が経っているわけです。色あせたレールが渋い。
地面からは車止め(鉄道車両用)が飛び出している。おそらくこれも実際に使用されていたものなのでしょう。地面の模様は線路を再現しているのです。
平野郷町西脇口と書かれたモニュメント。
平野郷ってのは、昔のこのあたり一帯にあったデカい村らしいのですが、ここがその西脇口っていう村の入口のひとつだったらしい。このモニュメントはそれを示すもので、シャープ株式会社が寄贈したっぽいね。
廃線跡とはまったく関係ないのですが、変なドアがあった。うん、ちょっと面白かったので撮っただけです。
『信号』と旧南海平野線平野駅の『八角形屋根の駅舎』
線路を模した道を進むことにした。独り電車ごっこが捗る。
左上のほうに電車用の信号があった。
もちろん現在は使用されておらず、点滅することはありません。
信号から更に進むと広場に出てきた。この周りの住宅の近さが逆に映える。
広場奥の壁には運行していたであろう路面電車の絵が描かれていた。223って書いてるけど、電車の名前なのかな・・・・・・うん、分からん。
当時の南海平野線平野駅にあったであろう、八角形の駅舎。小さな東屋みたいで、座ることができるね。
そういや、この平野停留場跡についての詳細が記されたプレートが近くの壁に貼ってあったので読んでみようか。
詳細のプレートを読む。
平野線とモ205型電車
南海平野線は大正3年4月26日 今池・平野間の開業以来、大阪市東南部の重要な足として地域の人々に親しまれてきましたが、地下鉄谷町線天王寺・八尾南間の開通により昭和55年11月28日、66年の歴史をとじました。
モ205型電車は、開業当初の木造車を昭和10年代に銅製化したもので、通称<改造車>とよばれ平野線で活躍しました。
また、広場中央の照明塔屋根は八角形の欧風木造建築物として建築史上もユニークな平野駅駅舎のイメージをとり入れたものです。
(※上記、下線部の文章は『平野線とモ205型電車』の説明プレートの内容です)
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どうやら旧南海電鉄平野線平野駅は大正3年~昭和55年までなので、けっこう永いこと活躍していたみたいです。モ205型電車ってのは元々木造だったの途中から銅にしたって書いてる。末永く走れるように工夫していたのですね。
『枕木の柵』と『プロムナード平野の終着点』
駅舎のあった広場から再び歩き出すことに。
そういえば地面から飛び出しているこの茶色い柵は、線路に敷かれていた枕木を利用しているっぽいね。地域にもよるけど、廃線になった枕木って1本5000円とかで鉄道マニアの方々に公式に販売されたりするんだってね。随分前にニュースで観た。
またもや信号を発見。
プロムナード平野の遊歩道には細い脇道があったりする。僕が公園内を歩いているときも、地元の人たちが抜け道として通行していました。車が通れないから安全なんです。
プロムナード平野の終着点が見えてきた。距離はそんなに長くなく、100m~200mの間くらいだったと思う。公園というよりも、抜け道のような遊歩道って言ったほうがしっくりくる。下町の風情があって、静かな公園でした。
旧南海電鉄平野線平野駅・・・平野停留場じたいは無くなってしまったが、プロムナード平野として一部は生まれ変わっているわけですね。