シマのブログ

大阪・兵庫を中心に関西の珍スポット(B級スポット・珍百景)や地域のPRをする!その他なんでもネタにする雑記ブログ。

樋之口町、大川河川敷の崩壊気味の元不法占拠バラック住居集落【大阪府大阪市北区】

f:id:shimanchu5:20210306101023j:plain

ここは大阪府大阪市北区にある大川(旧淀川からの景色です。上の写真、水色の高層ビル(シティータワー大阪天満)があるのは樋之口町(ひのくちちょう)という地区でして、河川敷にたくさんのバラック住居が建っている集落があるという非常に稀有な町です。

昭和初期かそれ以前に不法占拠し建てたと思われるバラック住居群なので、故にけっこう崩壊気味となっております。時代が令和になっても少しずつ立ち退きや解体作業が行われている様子。けれども、一部の立入禁止エリア以外は普通に散歩できるようになっているんですよ

そんな令和という時代にそぐわない街色である樋之口町ですが、今回の訪問時でもバラック住居集落に住民さんは住んでいたし、街の中心部にはけっこう普通の家などもありました。

(撮影日 2020年11月)

 

 

 

大川河川敷のフェンスの出入口

f:id:shimanchu5:20210306101027j:plain

樋之口町はわりと小さな町で、オフィス街の中心部にポツンと住宅が点在しているような目立たない町です。そして観光地のように知名度があるわけではないので、どこに樋之口町があるのか分からないという方は多いはず。そんな方でも分かりやすい目印といえば、当記事冒頭写真のシティタワー大阪天満という高層ビルです。

大川沿いの西側の遊歩道を歩いているとビルの下らへんに勝手に辿り着くし、途中にあるフェンスにも樋之口町への入口が開けられていたりします

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101031j:plain

このフェンスの奥が樋之口町となってます。もちろん他にも様々な出入口があるが、ここが一番分かりやすいはず。

 

 

 

高層ビルと樋之口町バラック住居

f:id:shimanchu5:20210306101035j:plain

フェンスの通り抜けると、樋之口町の南側に到着する。おもにこの南側一帯バラック住居が建ってます。とはいえ、一般的にバラック住居と聞くと廃材で作ったボロい小屋みたいなのをイメージするかもしれんが、この樋之口町のは普通の一戸建てサイズだったりする。どんどん増築していったのだと思う。

あと、再度言っておきますが、ここは大川の河川敷です。本来、河川法うんぬんによって河川管理者の許可がない限り、河川敷に家とかは建てちゃいけないはずですが、まぁ、昭和という時代はいろいろと狂っていた時代(わりと現在も狂っているが)でもあるので、そこは察してほしい。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101039j:plain

この高層ビルがシティタワー大阪天満です。ものすんごいお金持ちの方々が住んでいる・・・・・・たぶん。

以前、SNSでこの光景が有名になりましたね。「格差がすごい」的な感じで。

 

 

 

樋之口町(南側) 企業の占有地?

f:id:shimanchu5:20210306101129j:plain

とりあえず歩いてみた。河川敷を占有するように、そこらじゅうに建築資材などが置かれている。

ちなみに右にある小屋は、リフォーム工事会社の事務所のようです。大川沿いには土木関係の企業がいくつかあるようですが、元々はこのように土地の不法占拠によって興された企業が多いのかと。

平成初期には、ちょうどここに中古自転車屋さんがあったということも確認済み。しかし、いつの間にか無くなって現在に至る。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101132j:plain

たとえ公有地を不法占拠したとあっても、平穏に、かつ、公然と20年間(または10年間)占有すれば時効取得に至るという法律があるので、現在では正式な所有者がいるはず。ゆえに、ここはもう不法占拠ではなく、不法占拠と呼ぶべきだろうか。

ただ気になるのが・・・・・・どこからどこまでの区画に所有権が移り、どの部分が公有地になるのかが全く分からん。あと、河川法をないがしろにしているのもワケが分からん。そのへんのことに詳しい人がいたら教えてほしいのう。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101139j:plain

f:id:shimanchu5:20210306101142j:plain

あとで図書館に行って昔の資料で調べてみた。すると、この樋之口町の南側には、かつて複数の土建屋さんが事務所や宿舎を構えていたということが分かった。

ちなみに、上の写真を見てもらえれば分かる通り、現在(2020年)でもここを活動拠点としている土建屋さんはあるようです。偶然なのか、この日は社員さんはいませんでしたが。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101230j:plain

f:id:shimanchu5:20210306101234j:plain

上の2枚の写真のように、河川敷での居住については府の行政機関は手をこまねいているご様子。大阪府西大阪治水事務所という組織による「ここは河川施設につき居住禁止」の旨の看板があった。フェンスやロープで区画整備されている土地はおそらく府が買い取ったのでしょう、立ち退きした跡ですね。

ちなみにこのフェンスの中の土地も、以前は土建屋さん(Y興業)があったのだ。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101226j:plain

放置された車や粗大ごみが・・・・・・。

この奥にバラック住居が密集している。左のフェンスの脇から行くことができるぞ。

 

 

 

樋之口町(南側) バラック住居群の集落を散歩

f:id:shimanchu5:20210306101238j:plain

とりあえず集落の中を散歩してみる。

さっきも言ったが、このバラック住居集落はおもに土建屋さんの事務所や宿舎として利用されていたという歴史があるため、足元に鋭利な鉄屑やゴミが落ちていたりする。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101241j:plain

空き缶いっぱい。ここの住民さんや社員さんが頻繁に出入りされているような形跡はあるが、いかんせんモノが溢れすぎている。みんな片付けが苦手なんや。

・・・・・・というかさっき、ここの住民のオッチャンに出会ったわ。「南側(このバラック住居集落のことだと思う)では自分が最後の住民」ということをおっしゃっていたので、現在、このあたりの宿舎や家屋は全部空き家ということだろう。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101320j:plain

f:id:shimanchu5:20210306101323j:plain

どうみても使われずに放置されているものばかり。このロッカールームもそのうち解体するのかも。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101327j:plain

どうみても生活用通路ですが、途中、洗面所と洗濯機があった。この一帯、マジでなんでもありやな。

 

f:id:shimanchu5:20210306101330j:plain

宿舎の代名詞、共用洗濯機ですよ。他人の洗濯物が入れっぱなしは社員寮あるあるです。

僕も現場作業員だったときは社員寮で暮らしていたからわかるのだが、ぶっちゃけ洗濯が無料でできるのはめっちゃ助かる。共用だから多少の不便さはあるが、無料だから許せちゃう。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101334j:plain

洗濯機を通り抜け、奥へ。このプレハブの建物は土建屋さんM組の元事務所兼宿舎と思われます。オモテにあった資材置き場の管理をしているのも、どうやらこのM組と思われる。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101457j:plain

ニワトリの小屋やね。

 

f:id:shimanchu5:20210306101502j:plain

ニワトリ小屋の中には、鳥カゴが入ってる。マトリョーシカ的な収納術やな。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101505j:plain

こっちは・・・・・・犬小屋?

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101552j:plain

バラック住居と呼ぶには惜しい、なかなかに本格的な家屋がある。半壊状態ですけどね。この家は空き家となっていて、やはり府の行政が買い取ったのか立入禁止のテープが張られていた。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101556j:plain

めっちゃ狭い。たぶん右側のプレハブの家にさっき出会ったLast people(最後の民)のオッチャンが住んでいるのだろう、おもっくそテレビの音が漏れ出ていたぞ。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101600j:plain

な、なんか臭い?

二重マスクをも通過してくるこの刺激臭は、もしや・・・・・・。

 

f:id:shimanchu5:20210306101604j:plain

うん、ここ、便所ですね。扉の隙間から茶色い液体が流れ出ていた。さすがにウ〇コではないが、見ていて気持ちのいいものではないので、モザイクをかけさせてもらった。

とりあえず足の裏を確認・・・・・・よし、踏んでない(安堵)

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101608j:plain

f:id:shimanchu5:20210306101728j:plain

倒壊の危機にある建物も多く存在する。それにしても、素人がこれほどの家を建てたというものだから侮れない。基礎とか大丈夫なんかな?(大丈夫じゃないから崩れている)

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101732j:plain

f:id:shimanchu5:20210306101736j:plain

ときどき公務員の方もここへ視察に来ているようで、ご覧の通り、立ち退き済みの建物とエリアには「立ち入り禁止」の看板やテープが張られている。たった一人だけでも住民がいるということで、集落全体への立入禁止にはできないようだ。すべての家屋の立ち退きが完了したら、全面立入禁止になりそうな予感

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101740j:plain

夜な夜なヤンキーたちも訪れているのか。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101744j:plain

この半壊状態の建物には「事務・・・」と書かれたプレートが貼られていた。ここも元々は土建屋さんの事務所だったということ。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101905j:plain

そろそろバラック住居集落を抜けるという頃。足元を見ると・・・・・・

 

f:id:shimanchu5:20210306101909j:plain

NHKからの郵便物が落ちていた。現在でも郵便屋さんがここまで届けに来ているのか・・・・・・分かってはいたが配達業務ってやっぱり大変やな。

前に住んでいた人が住民票の変更手続きをしていないのか、それともLast peopleのオッチャンのものなのか、不明です。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101912j:plain

ここを抜けたらひとまずバラック住居集落からは脱出です。

 

f:id:shimanchu5:20210306101916j:plain

花壇だったと思われる場所。家の壁すれすれに大きな木が生えている。長年空き家状態ということもあってか荒れ放題になってる。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306101919j:plain

f:id:shimanchu5:20210306102018j:plain

バラック住居集落を抜けました。

 

f:id:shimanchu5:20210306102031j:plain

こんなところから出てきましたよ。すごく狭かった。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306102022j:plain

f:id:shimanchu5:20210306102027j:plain

出口のところには、なんだか昔風なCDがたくさん落ちてました。まぁ、中身は入ってませんが。

 

 

 

樋之口町(北側) 立ち退き跡と大規模な硝子工場跡

f:id:shimanchu5:20210306102035j:plain

樋之口町の南側はバラック住居集落となっていましたが、北側はこのように既に立ち退き済みとなっており更地状態です。緑色のフェンスで区画整備もされていることから、これから新しく活用されていくのかもしれません。見たかんじ北側一帯も河川敷っぽいし、公共物・公共施設あたりになると思うのだが、できてからのお楽しみやね。

ちなみにこの北側ですが、南側同様、昔は家屋が密集していたということが昭和36年ゼンリン住宅地図で確認済み。また、もう少し北側には大規模な硝子工場もあったようで、工場の周囲を取り囲むように家屋が建っていた様子から、もしかしたら工場従事者の方々が居を構えていたのかもしれません。

 

 

 

樋之口町(中心部 その1) 廃れた古美術品商と、現役の町工場

f:id:shimanchu5:20210306102142j:plain

北側と南側と分断する・・・・・・とまでは言わないが、樋之口町の中心部に続く細い路地を見つけた。

ここからは地面もちゃんと舗装されている様子から、大川の河川敷ではない区域になるのだと思う。いや、知らんけどな。

 

f:id:shimanchu5:20210306102145j:plain

錆びついて真っ赤になったトタンの家屋には、立派なミカンが実っていた。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306102149j:plain

f:id:shimanchu5:20210306102152j:plain

廃墟になった古美術品商があった。中国姓または朝鮮姓に類似した表札があったので、おそらくそのあたりの外国の方が営まれていたのでしょうね。

余談ですが、この探訪の後日に、この古美術品商は解体工事がされていました。なので、現在はもうありません。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306102156j:plain

f:id:shimanchu5:20210306102240j:plain

古美術品商を通り過ぎ、このあたりまで来ると、けっこう普通の住宅街になります。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306102243j:plain

小さなニット工場がありました。コロナウイルスでのパンデミックで急激にマスクの需要が増加したためだろう、忙しそうに機械の稼働音が鳴り響いていた。

じつは大正~昭和にかけて、樋之口町周辺地域ではメリヤス加工工場(昔のニット加工工場のこと)が非常に多かったという歴史がある。メリヤス加工の他には、金属加工・印刷・製紙などの産業も盛んだったらしいのよ。

 

 

 

 

樋之口町(中心部 その2) 人々の生活、朝鮮との関係

f:id:shimanchu5:20210306102247j:plain

倉庫に絵が描かれている。この絵は数年前にテレビで見たことあるな。たしか昔(昭和あたりだと思う)のこの地区の人々の生活を描いたものだったかな? かなりうろ覚えだから間違ってたらゴメン。

また昭和時代の話になるが、この樋之口町には朝鮮半島(現在の韓国・北朝鮮から来た方々も少数ではあるが住んでいたので、いろいろと人種的・文化的な差別もあっただろうし、周辺地域の住民との対立も多かったのかもしれない。そもそも日本人の方々も含め、この樋之口町の河川敷で不法占拠までして居を構えるほどなので、なにかしらの事情がある人々が多かったというのは想像に難くない。戦中・戦後という過酷な時代も相まってね。なんとなくだが、そんな人々の苦労のようなものと、発展していく街に対する憧れと劣等感のようなものが、この絵から滲み出ているような気がしました。

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306102251j:plain

またもや昭和36年のゼンリン住宅地図を読んでみると、樋之口町の南側(現・バラック落部分)は「簡易住宅」と記載されているだけだった。当時の日本は朝鮮の方々に対しては残虐的な対応だったということから、おもにこの一帯に朝鮮の方々が住んでいたと推測できる北側(現・立退き済みの更地)については、ほとんどの住居に日本姓が記載されていたが、ごく一部、朝鮮姓と日本姓が混在している住居も見受けられたので、同居している者もいたのでしょう。昭和36年時点では9割くらいは日本姓でした。残念ながら、それ以前のことは資料がなくて調べることができませんでした。すまんのう。

昭和14年頃から、朝鮮人徴用によって日本での強制労働に勤しんだ朝鮮人の方たちが独自に不法占拠集落を形成するというのはよくある話ですが、日本人主体で不法占拠集落を形成していたというのが樋之口町の特色。戦時中、大川(旧淀川)沿いは空き地だったという話だし、食べられる雑草のほか、川からはフナやドブ貝などの食料も調達できたとのこと。戦中~戦後の住宅難・食糧難で行き場を失った人々が、生きるために仕方なくバラック住居を建て、それがやがて集落形成に繋がったという可能性が高い

 

 

 

 

 

樋之口町(中心部 その3) わりと普通の住宅街

f:id:shimanchu5:20210306102254j:plain

さらに町の中心部へ進むと、わりと普通の住宅地に着きました。他の地区は大規模なマンションや高層ビルなど令和さながらの洗練された都会らしさを見せる中、この樋之口町だけは北区のなかでも「陸の孤島」と形容できそうなほどに築年数の古そうな一般家屋が密集している。まぁ、これについては北区じたいが発展しすぎという逆の考え方もありますけどね。

あと、樋之口町だけが陸の孤島となってしまっている理由としてましては・・・・・・1978年に実施された淀川リバーサイド地区整備事業も一因にあるかと。この計画によって樋之口町の北側に隣接する長柄東地区では大規模な工場はすべて閉鎖され、かわりに近代的なマンションや公園などを整備し、大都会っぽさ満点の美しい街並みへと変貌を遂げたのよ。いわゆる「再開発」ってやつやね。

けれども、なぜかぎりぎり樋之口町は淀川リバーサイド地区整備事業の対象外地域だったため何も手を付けられず、そのままの街並みと河川敷のバラック集落だけが残ってしまったという経緯があったりする。もちろん他にも何かしらの理由があって、現在の樋之口町が出来上がってしまったわけですがね。やっぱり金の問題が大きいのかな?

 

 

 

 

 

f:id:shimanchu5:20210306102311j:plain

僕個人としては古い家ってけっこう好きなのですが、実際は老朽化の問題や、日本という国じたいが少子高齢化などによって空き家だらけになってきている。どうやら樋之口町にも空き家が目立ってきているようです。

・・・・・・が、その反面、シティタワー大阪天満という圧倒的存在感の超高層ビルができているということもあり、樋之口町じたいの人口は増えているのかもしれない。最後に、当記事を読んだだけだと摩訶不思議な町に思えちゃうかもしれませんが、実際に行ってみると割と普通の街だったりするぞ。

 

 

 

『樋之口町』の場所

https://goo.gl/maps/DLVFm9FP1D2WAG6b8